宝塚せせらぎの街|宝塚情報と検索エンジン
宝塚のタウン情報と登録料無料の情報検索エンジン。
あなたがお持ちの情報をご登録ください。
宝塚に関係の無いサイトの登録もOK!!
検索エンジン対策にも効果が期待できます。
宝塚市まちの歴史
■宝塚という地名の由来
宝塚は、古く縄文・弥生時代にさかのぼる昔から、人々の営みが続けられてきた土地。
200基を超す古墳などが、その歴史を物語っています。
1701年に岡田渓志という人物が編さんしたとされる地誌・摂陽群談には、 宝塚について「この塚のそばで物を拾う者に必ず幸せあり。このことによって宝塚の名が付いたといわれている」などと紹介されています。
「塚」とは市内に数多く残る古墳のこと。幸福をもたらす土地として人々に語り伝えられ、 宝塚の地名が生まれたと考えられています。
■中世以降のまちの歴史
中世になると農耕が盛んになり、また17世紀後半には山本地区の植木産業 が本格的な発展を見せ始めました。
街道の宿場町として小浜地区が栄えたのは江戸時代のころ。小浜を通っていた旧街道沿いには、今も多くの寺社や文化財が点在しています。
宝塚が観光のまちとして知られるようになったのは、明治以降のこと。
明治17年、武庫川右岸で温泉が発見され、明治20年に宝塚温泉が開業しました。
明治30年には阪鶴鉄道(現在のJR宝塚線)が開通。
明治末には小林一三らの努力により、箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄宝塚線)が開通しました。
小林氏はさらに武庫川左岸に新温泉を開業させ、 大正3年にはそこで宝塚少女歌劇(現在の宝塚歌劇)が誕生。その後は「歌劇と温泉のまち」として広く知られるようになります。
■市のあゆみ
宝塚市の市制施行は昭和29年4月1日。
武庫川をはさんで宝塚町と良元村が手を結び、宝塚市が誕生。 翌30年には隣接の長尾村と西谷村を合併し、現在の市域がほぼ確定しました。
その後、住宅地として発展し、特に高度経済成長期には人口が急増。
市制施行当時、約4万人だった人口は昭和62年には20万人を突破しました。

